そのためだったのだろう、
二人とも根っからの「阪神タイガース」ファンで、
特に祖母は当時、真弓選手が大好きだった。
好きが高じて真弓選手の背番号7番にちなみ、
7月7日に亡くなった。
阪神が優勝した翌1996年のことだった。
僕もそのためだったのだろう、
小さい頃から「阪神タイガース」ファンを続けている。
江夏、田淵の時代に始まり、
掛布、バース、岡田、真弓、川藤の黄金時代、
そして、亀山、新庄のルーキー時代、
野村、星野体制を経て、
今もファンであることには変わらないのだが、
昔ほどの「熱さ」はない。
それが、新庄選手が阪神を去ってからのことだと気付いたのは、
先日、日本ハム優勝をテレビで視ていた時のことだ。
甲子園で観る新庄選手には、
「花」があった。
特に、外野の守備は圧巻で、テレビ中継では判らないが、
バッターが打つ前に走り始めて捕ったりする。
そういう光景を何度となく観て、
「コイツ、凄い!」と想うと同時に、
この人はファインプレーを幾つも損しているとも想ったものだ。
彼が、「有言実行」というスタイルになっていったのは、
そういう理由からかもしれないと想う。
自己アピールしていかないと凄さを理解してもらえない、
そういう面が多々あったのではなかったかと想うのだ。
でも、彼は、
彼自身も云っていないモノ凄いこともしている。
彼は、「ファイターズ」「パリーグ」「日本プロ野球」「北海道」を元気にした。
これは彼自身や、周りもよく云っていることだが、
と同時に彼は、「日本ハム」ブランドについていた傷を、
完全に消し去ってしまったのだ。
これは企業に勤める者の実感として、
とてつもなく大きく難しいことであることを知っているが故に、
その凄さ、偉大さには敬服するしかない。
そこには、
「誰のために、何をするか。」という自問があり、
「ファンのために、ファンが喜ぶことをする。」という自答があった。
彼がそれを云い、それを実行していくことで、
選手はもちろん、スタッフ(裏方さん)や当初は批判的だったOB、
最後にはオーナー企業まで巻き込んで、
「誰のために、何をするのか。」という精神的風土が、
組織の中に再構築されていったのだと考える。
それは、不祥事などで傷ついた信頼を、
いかにして回復するかの「お手本」のような仕事であったのではないかと想う。
彼はまだ、次のことは決めていないという。
それは彼「新庄剛志」が、
本当に彼の力を必要としているところに行きたいと、
そう想っているからではないだろうか。
にしてもちょっと悔しいのは、最後の舞台、
そこが「甲子園」で、
緑の芝生をバックに映える赤いリストバンドが、
縦ジマのユニフォームも混じった選手たちによって、
胴上げされている姿を見ることができなかったことである。




























