先の詩の元題は「雑踏」でしたが、
敢えて透明感のあるものが屈折するイメージで「プリズム」に変更しました。
かなり若い(おそらく10代)の頃の詩です。
青年期に誰もが抱くであろう社会に対する拒絶感や、
現実にそれを受け入れざるをえない惰性のようなものが感じられます。
今、同じような感覚を持っている人に読んでもらえているのであれば、
この齢になって判ったことを伝えたいと想います。
「社会」とは、もともと人の集まりではありませんでした。
二クラス・ルーマンという社会学者が、
『「社会」とは、「コミュニケーション」の集まり』
と説いていて、今の僕にはこれが一番しっくりきます。
だから「社会人」とは、
わざわざ街で雑踏にもまれながら、
組織で働いている人たちだけを指すのではなく、
コミュニケーションに参加している人たちすべてを指すべきである、
と想います。
ネットカフェからブログへ投稿している人
タウンワークで仕事を探している人
路上でいかがわしい物品を売っている人
ネット・ゲームの世界で商売をしている人
みんな「社会人」です。
じゃあ、それが「真実」だとして、
「道筋」「道理」とは何なのでしょう。
映画では「ストーリー」。
会社では「規則」や「目標」。
学業では「研究テーマ」。
タウンワークでは「求人条件」。
ブログでは「マナー」。
ゲームでは「ルール」。
マクドナルドでは「業務マニュアル」。
それは「シナリオ」のようなものですね。
ちょっと、判って頂けましたでしょうか?
云いたかったのは、
社会に出ていないと想っている人ほとんどが、「既に社会人」です。
創作の世界に遊び、
報酬の為に働き、
専門的な知識を得て、
想いを発信し、
スポーツやゲームに熱中する。
これからは、そんなコミュニケーションのパーツを、
ワンピースずつ自分に付加していく。。。
そんな考え方の方が、時代に合ってきているのかなあ、
と感じます。
誰も、社会のワンピースになるようになんて、
虐(しいた)げられません。
誰もが、社会に幾つものピースを投じることができる。
それが、本当の、そしてこれからの「社会」です。
さあ、いざ、少し前へ。。。
posted by 世界くん。 at 11:02| 大阪

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